北野・山本地区をまもり、そだてる会

まちなみ活動と市民活動

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震災から学んだまちづくり

震災を機に再共有された異人館への思い

このような状況の中で、震災後、まちの復興に向けて、さまざまな視点からの取り組みがなされてきた。 発会以来20年近くの活動実績をもつ「北野・山本地区をまもり、そだてる会」では、震災直後から伝建認定以外の異人館を保存するとともに、これを資料館等として活用することを目的に「異人館基金」創設のための活動が続けられている。これまでまもり、そだてる会では、この地区の落ち着いたまちなみを保全・育成するという主旨から、過度の観光地化には常に疑問を呈してきた。観光客のだす騒音や案内のスピーカー、住宅内をのぞきこまれることによるプライバシーの侵害、ゴミやたばこの吸殻のポイ捨て、不法駐車などの他に、公開異人館や土産物屋等のけばけばしい看板の設置や客呼びこみの声、あるいはスピーカーで流される音楽による騒音など、観光地化による環境阻害が顕著であったし、なぜ観光客が落していったゴミを、我々住民が拾わねばならないのかといった不満の声も高かった。そして観光の中核である異人館は、あたかも迷惑施設であるかのように認識されはじめていた。しかし、かつてはまちの中に溶け込み、シンボルでもあった異人館が震災によって崩壊しつつあるのを目の当たりに、地区住民のこれらに対する愛着とまちにとっての重要性の認識が再び共有された。営利目的の民間施設であれ、公開施設として活用されてきたことが、これら異人館の保存につながってきたという面も見逃せず、問題なのはその営業方法であるということが確認・合意されたのである。震災から半年後の7月に開催されたまちづくりフォーラムの場でも、住民・商業者を問わず、さまざまなかたちで異人館への思いが語られ、これは震災前にはみられなかった流れであった。そこで、震災直後は伝建認定以外の異人館修復には行政による支援が不明確であったこともあり、この地区の歴史的環境を自らがまもり、そだてることを可能とするための募金活動がはじめられたのである。
 そして平成7年秋には、解体された異人館の調度品などを保管しておくための倉庫を地区内の空地を無償で借用して設置した他、平成9年度には、阪神・淡路大震災復興支援資金の助成を受けた上で、歴史的な物件の存在を地区住民を含む多くの人々に顕彰し、まちを考えるきっかけにしてもらうための「伝建銘板」の設置、あるいは「まちづくりフォーラム」(平成7年)、「異人館を考える」(平成9年)、「まちなみ歴史トーク」(平成11年)といったシンポジウムの開催、さらには平成14年からはまちの再発見運動助成を受けた上での「生活史ドキュメント」活動など、歴史を伝え、新たな文化を育むための活動が展開されている。

新たな組織化の動き

一方、まもり、そだてる会の他にも、まちの魅力を高めるための新たな動きが、震災後いくつかでてめている。
その一つが「北野異人館協会」である。震災の混乱がいくぶん落ち着いた平成9年末時点で、地区内には24館の公開施設があり、11の主体によって運営されていた。共通といいながら系列館にしか入れない入館券の販売や強引な客呼び込みなど、観光客とのトラブルも多く、テレビや新聞にも問題として取り上げられ、震災前からこれらを是正するための組織化が呼び掛けられていたが、実効性のあるものが実現しないままであった。しかし、震災から2年半が経過した平成9年夏からこれらの組織化について議論され、平成10年4月に設立されたものである。毎月の定例役員会を開き、各方面から指摘されている過度の行為を自粛するための話し合いとともに、クリスマス時期の共同イベントなどにも取り組み、徐々に地元住民とも共通の視点をもちはじめている。観光客の戻りが遅い中、良好なまちなみ・まちづくりが観光地としての復興の原点になるという再認識である。
 また、地区内には自治会や婦人会などの既存組織以外に、上記の北野・山本地区をまもり、そだてる会や北野異人館協会を含め4つの組織がある。ブティクや飲食店など商業者の組織である「北野商業響働コミュニティ」、土産物店など観光業者の集まりである「北野観光推進協議会」である。震災に加えて、昨今の沈滞化した経済情勢の中、まちの魅力化・活性化にはこれら4組織の一体的な取り組みが有効であるとの認識から、平成11年6月に行政を含めて初会合がもたれ、以後、各組織が実施する活動の調整や地区内の広告物についての基準づくりなどを検討している。

インフィオラータこうべ『北野坂』

このような状況の中で、平成13年4月には“インフィオラータこうべ『北野坂』2001”が開催された。上記各組織の代表者からなる実行委員会を組織し、一年以上の準備期間をかけて実現した。インフィオラータとはイタリア語で「花を敷き詰める」という意味で、ここで使用したチューリップの花は、大規模に球根栽培をしている富山県砺波市と新潟県亀田郷から、計65万本が提供されたものである。これらの産地では、例年4月に球根に栄養を回すために芽吹いた花を摘む。この不要になったチューリップを再生活用するもので、北野坂の幅8mの車道を使い、延長270mに渡って12枚の巨大花絵が1000人のボランティアの手によって描かれた。交通規制のために沿道の駐車場の代替を捜すなど苦労もあり、また期間中は迷惑もあったものの、地元を対象にした事後のアンケート調査でも3/4の人がこのイベントを良かったと評価し、また来年も開催したいと訴えている通り、地域が一体化した3日間であった。これは、平成9年から北野町広場で実施されていたイベントを拡大したもので、以後、毎年春に継続して開催されている。

北野工房のまち

また、震災後の動きの中で特筆すべきものに、前述の「北野工房のまち」がある。これは、小学校の統廃合によって閉校となった元北野小学校を暫定的に活用してつくられたもので、平成10年7月にオープンした。管理・運営の主体は行政ではあるが、地r元との関わりも大きく、昭和6年の建築であるレトロな校舎の1・2階は教室や職員室を改修して、飲食・靴・工芸などの店舗が製品をつくる過程もオープンにみせながら展示・販売している他、3階の講堂は多目的ホールとして、2階のギャラリーとともに地元に開放されており、地元住民による作品展や各種の教室、あるいはお年寄りの給食会などに常に利用されている。明治41年に開校して以来、地域の一つの中心であった北野小学校は、産業や観光の拠点としてだけでなく、トアロードなども含む元校区の広い範囲にわたるコミュニティの核として復活したのである。

国際交流

さらに近年では、外国人達と混住することから育まれてきたこの地区固有の生活文化を発展させるという主旨から、国際交流の推進にも力を入れている。 その一つは、上述のインフィオラータをきっかけとしたイタリア・ジェンツァーノ市との交流である。ジェンツァーノでは200年以上も前から道路に花絵を描くお祭が受け継がれており、その見学に訪れたことから、以後、毎年の開催時に互いの市民が行き来し、地区ぐるみのおつきあいがはじまっている。 一方、バリ・モンマルトル地区は、高台に位置する住宅地に多くの観光客が訪れるなど、北野・山本地区との共通点が多く、情報交換やこれからのまちづくりを共に考えていくために、平成17年4月、両地区のまちづくり組織が友好提携を結んだ。そして、これを記念して同じデザインの銘板を広場に掲げ、交流が深まりつつある。

持続可能なまちづくりに向けて

このように、住民・事業者を問わず様々な組織が連携しあい、日頃のおつきあいを深めていくなかで、活動は多様に展開され、それに伴って、観光公害をはじめ地区の魅力を阻害するような行為はかなりの部分で是正されてきたといえる。しかし一方で、これら組織に属さない一部の新規事業者の中には、道路上に派手な看板を設置したり、大声で客を呼び込むなど、地区になじまない強引な商行為にはしるものが、目立ちはじめていることも事実であり、新たな課題として顕在化しつつある。

北野・山本地区は、明治以降、良好な環境をもつ住宅地として形づくられ、多くの外国人にも愛されてきた。この地区の商業も観光も、この環境を基盤にしてはじめて成り立つもので、まちの持続的な発展のためには、歴史の流れを断ち切ることなく、先輩達が培ってきた文化を未来に引き継ぐ姿勢が重要である。とりわけ阪神・淡路大震災という未曾有の経験を経て後、この地区に関わる多くの人々がこの認識に立ち、一層の魅力化のための模索と活動を続けている。

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株式会社地域問題研究所  山本 俊貞
(「北野・山本地区をまもり、そだてる会」コンサルタント)

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