北野・山本地区をまもり、そだてる会

まちなみ活動と市民活動

目次 1 2 3 4 5 6 次へ

北野・山本地区のまちなみ

北野・山本地区は、神戸市中央区の山麓部に位置し、異人館と呼ばれる明治期以降に建設された洋風住宅が和風住宅に混ざって点在する地区で、異国情緒豊かなまちとして国際都市神戸のイメージを顕著に代表している。この中で、とりわけ多くの伝統的建造物が集積する約9.3haは「伝統的建造物群保存地区」に、また伝建地区を含みこれと一体的にまちなみを形成すべき約32haは神戸市都市景観条例に基づく「都市景観形成地域」に指定されている。そして、これらの区域が含まれる北野町1〜4丁目および山本通1〜3丁目の約45haの範囲では、地元のまちづくり組織である「北野・山本地区をまもり、そだてる会」が結成されており、一般に北野・山本地区とはこの範囲を指す。

住宅地として発展してきた北野・山本地区

1868年(慶応3年)、アメリカをはじめとする5ヵ国との修好通商条約に基づき、兵庫開港が実現る。この時、外国人居留地の設置が義務づけられていたが開港直前の政情不穏からその整備が遅れ、政府は北野村など生田川から宇治川の間の9ヵ村を、外国人が日本人に混在して住むことを認めた「雑居地」に指定する。現在の北野・山本地区の形成はここに端を発し、南斜面の温暖な気候のもとで多くの外国人に愛され、働く場の居留地に対して、住宅地としての発展を続ける。いわゆる異人館と呼ばれる様式主義的傾向の強い外国人住宅の建設は、明治20年代後半より増え、日本家屋と混在しながら第2次世界大戦後にまで及ぶ。この大戦時の空襲で神戸は大きな被害を受けるが、幸運にも現在の北野町と山本通の一部は部分的な被災にとどまり、異人館も残されたのである。

戦後は、都心三宮に近いことから、昭和30年代のホテル建設、40年代のマンション建設ブームを経て、50年代にはいると良好な住宅地環境を背景にブティックや飲食店などの専門店が立地しはじめ、三宮とは趣を異にする商業地として新たな性格の一面をつくりだすことになる。また、異国情緒あふれる住宅地にファッショナブルなイメージが加わったことから観光地としての性格も強め、昭和52年にNHK連続テレビドラマ「風見鶏」が放映されたこともあって、以後、年間150万人を超える観光客が訪れるまでになる。
 この地区は雑居地を基に発展してきたことから、異人館と和風住宅が坂のまちに混在する独特の町並みを形成し、我国近代以降の住宅の変遷過程がよくうかがえる地区といえる。伝統的な住宅は概して広い敷地の中に建ち、南側に庭をとっているものが多い。そして道路は一般に狭隘で、塀や石垣、あるいは庭木など敷際の装置越しに見える洋風・和風の家並みが景観を構成している。ただ昭和30〜40年代以降、広い敷地をもつ住宅を取り壊して建設されたマンションや商業・業務建築の中には、それまでの住宅地景観の連続性を阻害するようなものも目立ちはじめるようになっていた。

目次 1 2 3 4 5 6 次へ

このページのトップへ